2021年11月9日火曜日

最後の晩餐

 さてと自然とチヂアワセが流れて行く
あの世の事はなんやかんや言っても絵空事だが
次はこの世で実感する時に入る


9月30日
父が老人ホームから救急搬送されたと次女から連絡があった
危篤ということではないが、入院するとコロナで病棟は面会謝絶なので来ないかという
急ぎスマホナビを設定しバイクで出かけたが、目的地近くの瀬長島で到着のアナウンス


こんなとこに病院があるのかな、島をぐるりと周り何か変だ


スマホを見ると近くに来てる
やっぱり何か変だよな
病院はすぐそこだった


父と会うのは三年ぶりで、やっしー年取ったなと言われた
ロビーでは姪っ子達が集まっていた
ふと血圧計が目に入り測ってみた


何だこれ?189?普通は140位だけどな
医者の姪っ子に見せると、早く病院いけーーーと言われた
気分は普通だ、ドキドキとかまったく無くこれはなんだろう?

瀬長島と高血圧なんかあるな

、、、、、、、

あーー!!魂が抜けて行ったんだ!!
瀬長島は父とウガミに行ったことがある、この辺りは與座家のナカムート中元家があり、ウマチーの時には何時も来てる
高血圧は断末魔で力が漲る感じだな、やはりマブイヌジ魂離反だ!!
それで姪っ子たちに10日後又会おうと言ったら、、

もうーやっしー又変なこと言ってーーと怒られる


10月3日
何時ものように海空公園に行くと太陽は瀬長島の方に沈んでいく
飛行機が飛び立つのを見てると、父の魂が飛び立ったかのようだ


一週間後、病院から退院しホームに帰っていった
数日すると早朝に長姉から電話があり危篤だという
ヌジファどうする?すぐ来いと言う
僕は行かなかった

10月12日夜臨終
翌日僕は直接葬儀場に行った

満92歳、孫20人、ひ孫28人の大往生だった


葬儀場に見守りで僕が泊まることにした
二日間ずっとおぼろ月夜が流れていた


葬儀は淡々と進み、火葬場での拾骨に立ち会わず、一人墓開けに行くことにした
一人では無理だろ、バールも持っていけと義兄が言った
いや、もう何度も開けてるし一人で楽勝だと断った
と言うのも、建前だけの葬儀なので、墓開けだけは一人でやりたかった
持っていったのはこれだけだが、、、


ガスコンロの焼き魚用?ドライバーー
いやー甘かったなー結構難儀した
やっぱりバールは必要だった、テコの原理エネルギーかー


それでも10分くらいで無事に開いた


納骨はもちろん僕が中にはいった
中を点検するとまだ当分使えそうだ



本土の方には珍しいだろうが、沖縄だと普通の墓だ
昔の名残で棺桶が直接入るように中は三畳ほどある
与那国あたりだと今でも続けてるだろうが、一年後洗骨するらしい


納骨も終盤になり、最後の別れで重箱の一品を食べるという
甥っ子が代表で食べたが、腐ってなかったかと聞いた
いやクーラーに入ってて大丈夫だったという
えっ!朝から何も食べてなかったので即座に僕も食べた

普通の厚揚げが美味かった!!これかーエネルギーだ!力が漲り、バールのようなテコの原理だ!!なんかあるな!早速残りを持ち帰り家で食べた


最後の晩餐には揚げかまぼこを食べたいので
早速それだけを食べる、案の定旨かった!!


翌日、何時もラインしている夕日のとこに娘が行きたいという


帰りに波の上の千日でぜんざいを食べた
店内はクーラーなし

10月中旬だが気温30度
扇風機がぶんぶん回っていた


美味いーーーー!
なんだこれ?
気温は高いがカラッとしててまるでハワイみたいだった

翌日はミーニシ新北風が吹き23度寒かった
この日にぜんざい食べても旨くないよな
これは何かあるな!!


初七日に姉妹たちが集まり、兄弟だけの法要を済ます
そう言えば通夜の時に妹がウナギの話をしてたので聞いてみた


去年の父の日にどうしてもウナギを食べたいと父が言い、姉妹一緒に食べたという
そして看取りで疲れてたので、その時のことを思い出し無性にウナギを食べたくなり、
その晩父が亡くなった話だった

あーやっぱりな、揚げかまぼこもゼンザイも異常に美味かった
ガンとかで余命を知るのは解るが、急病や事故などの場合どうなるのだろうと思っていたが
最後の晩餐が解れば知ることが出来るはずだ、例えばゼンザイなどは季節もあるし
それが実感できれば。ほぼ一年前くらいに特定できそうだ

二七日(タナンカ)にクロアゲハが家に入ってきた
次女の家にもいたという、父が亡くなったのを気づいたんだな
百か日までは知らせが来るだろう

それにしても最後の晩餐って縁起悪いと思う人もいるだろうが、僕はワクワクする
出魂も経験できたし、身内じゃないとなかなか体感できなかった、父に感謝だ

すると誕生で魂はどうなるのだろう?
次はその辺を、、、、

いろんな御供物ありがとうございました