2008年9月30日火曜日

支店長室


2008/09/30(火) 
「支店長室」

「シテンチョウハン!ヨザクン!キハリマシタ!プププ!」
「お!ヨザクン!キタカ^^^!」
「しつんんれいすます!」
「まーそんなに緊張セント、コーチー二杯!ね」
「ハーーーーイ、シテンチョウ、ヨザクンのは、砂糖大盛ですね!!!!?」
「ナンヤソレ!?」
「いやナンデ、pナイデシ!」
「ヨザクン、ポン大ヤテナ、学部はドコヤ」
「神保町ダス」
「OH!ワシト一緒や無いか!!これからは、センパイ、コウハイ、デイコウヤー^^」
「イヤーセンパイイウテも、雲の上の支店長ハンデッサカイ」
「いやーーヨザクン、沖縄から来たんか?」
「はい!船で来ました!」
「ほーーーーー!船かーー?」
「はい!大学終わって、暇デシタカラ」
「若い者は暇があって、いいな~~~!」
「えーーーー!たまにビワコいてます」
「ナンヤソレ?」
「HAI?」
「いや君が、全国トップクラスの成績で、おれも鼻が高いわ、がはっは!」
「は~~~!?]
「君んとこのカチョウがな?営業しとらんていうんや?」
「は?ノルマ達成してます、あのボケの兄弟での奴のも僕がやってます!!」
「いや君がノルマ達成して、チャーント、しとるんのはワカルンヤ!?」
「それやったらなにも問題アラヘンデッショロ?」
「それやがなヨザクン」
「はい?」
「君はパン屋か?」
「はーなに!!ボケテマンの?支店長!!」
「いやーー君は列記とした、日本国第二位
の証券会社の、証券マンや!!しかしテリトリーあまり回らんと、パン屋に入り浸ってー債券売ってルイウンや」
「それがどうしたんや!!!」
「なんやお前センパイにその口の利き方は!パン屋で遊んでばかりいてナニシトンノヤ!」」
「遊んでて、ノルマが達成できるかー?いくら先輩でも許せん!!!」
「やるんかぼ;け!!!」
「コーヒー?ココデイインデスカ?支店長ハン?」
「あ~~~~何時もすまないね~~」
ヨザクン、チョコットここ来キーーー!!!

2008年9月29日月曜日

経理のセンパイ^^


2008/09/29(月)
「経理のセンパイ^^」

「経理ハン!ナンデおれ支店長に呼ばれたん?
「ヨザク~~~~ンまたなんかヤラカシタン?」
「なんでや!」
「ヨザクントコのカチョウハンが、ごっつおこられてたでーーーーーー」
「は”!カチョウは何時も怒られてんがな!」
「シテンチョウハンにやで!」
「しらんがなーー」
「ハーーン!ヨザクンシランノ?」
「なんや!はよいえ!!!」
「オコラントイテ」
「だからなんや!」
「ヨザクン、マタ、ビワコデ、サボッテタン?」
「えええええええええええええええええ」
「イウタヤロ!!!!!」
「HAI!」
「アノ、カチョウハンハシツコイデーーッテ!」
「なにーーー!琵琶湖で遊んどんのが、ばれたんか!」
「ソ!ソレヤガナーーーー」
「経理ハン、わてドウナルン?」
「ウチノ!ケイケンヤト~~」
「なんやはよいえ!」
「クビヤナー^^」
「えーーーーー首ーーーーーー」
「俺どないしたらエエン?」
「ナーンカ、ヨザクンガ、関西代表ヤテ」
「なんやそれ」
「ハーーアンタ!シランノ?」
「おれ巨人ファンやで?」
「モウーーーーニブイナ~~」
「関西代表イウタラ」
「な!なんや!HAYOIE!!」
「全国トップクラスの成績ヤデーー!」
「なんやノルマか~~?」
「アソンデバカリイル、ヤン?」
「何時も琵琶湖一とるで~~」
「ソレヤノニ、ノルマはコナシトルサカイ!」
「ノルマドンとこ;いやーー!!」
「ソレヤヨザクン!!ソレデイキ!!」
「そんで?」
「証券マンハ、ノルマコナシテナンボヤ!」
「は?」
「ソレデイキ!!---」
「マカシトカンカイ!ノルマは簡単や!」
「ソウヤデーーー、アンタハ、キッチリ、コナシトrう~~」
「ookini!経理ハン!!」

2008年9月28日日曜日

支店長


2008/09/28(日) 
「支店長」

「シテンチョウ!ほんまにヨザ行かすんでっか?」
「そうや、本部からも、今年度の関西地区代表は、京都支店の、與座君、てキヨルデ!俺の後輩や!おれも鼻が高いわ!gははっは!何やあいつでは、国立での債権課長ハン?イカンノカ?」
「あいつは営業してまへんでー!」
「成績は全国トップクラスやんけ」
「そやから日がな一日中、パン屋の店員でっせ、トリトリー無視で、カナイマヘンワ!」
「パン屋!!何やそれ!!」
「そやからシテンチョウハン!証券マンや無いんですわ、パン屋に来る客に債券売ってますんや」
「オマエおれをポン大やと!バカニシトンカイ!」
「ヒエーーーーーー!!」
「パン屋でワリコーが売れるんかい!!」
「、、、、、、、、、、、、、。。。。」
「オマエなんでヨザが営業セント全国トップクラスナンッカ!キチント説明センカイ!ぼけ!」
「ワテモワカリマヘン!シテンチョウハン。カンニン」
「もーーーーヨザ!よんでこんかい!」

2008年9月26日金曜日

京のパン屋


2008/09/26(金) 「京のパン屋」

「そうかー沖縄から来たんかー?」
「京都でちっとも客ができません」
「まあ兄ちゃん、京は厳しいからな!」
「そんで、毎日パン屋にくるんかー?新人さんやし、大変やなー」
「なにこの兄ちゃん株屋か?」
「そうでんがなー、うっとこで何時も油売ってまんがなー」
「わかった、兄ちゃん株注文したろ!」
「よかったなーボク、この人ごっついでー」
でもボク、株はデケマヘンケドウレシイデス!
「株なり国債なり、買うてやるがなー」
「ookini!」
「ヨザオマエどこであの客捕まえたん?お前のテリトリーやないでー?あの人がどこの誰かしっとんのか?」
「シリマヘン、どこぞのシャチョウハンでっか?」
「あほ!京では知らん人おらん、女社長や!どこでみつけたんや!」
「パン屋でサボってたら、でけました!」
「はーーーーいーー!パ!パン屋?!」
「それから、その人が客になってくれたら、パン屋に来る客が次から次へと、買うてくれます、最近ではパン屋の店番も頼まれます」
「えーー!お前の新規が伸びたんは、全部パン屋かーー?」
「そうだす、日がな一日中、パン屋に入り浸りだす」
「何やテリトリー外の京都中に客が、おるよって、おかしいなーとカカリチョウと話してたんや!」
「gハハハハ!カチョウ!果報は寝て待てでんな!」
「オマエねーーー!」

2008年9月25日木曜日

京の旦さん


2008/09/25(木) 
「京の旦さん」

「またおまえか!何やおもろいのあるんか?」
「へー旦さん!、リーマン言うとこの、ゴッツエエ!利回りの債券があるんですわ!」
「何やそのリーマンちゅのは?サラリーマンのなりぞこないか!」
「ナンヤ僕も知りまヘンケドー、大蔵省の先生が言うには、日本中の株屋集めても、太刀打ちでけへんらしいですわ」
「ほーー!大蔵省の先生がなー、アメさんはごっついらしいなー?利回りも凄いな!」
「そうでんがなー、材木相場のプロの旦さんの方がしってまっしゃろー」
「そうか、わかった、一本もらわうわ」
「オオキニ!一千万になります!」
「エーーーーーーーー!100万チャウノカ?」
「いえ一口、一千万ダス!」
「マーシャーナイナ、ホレデエエワ」
「アノー旦さん?」
「何や未だなんかあるんか!」
「この債権、上得意様向け、でっさかい、ワリコーも一千万買うてもらわんと、、。」
「なにーーー!もうチマチマうるさい、全部で五本持ってコンカイ!」
「ヘーーーーー!ookini---]
「ヨザクーン!五千万もヨーデケタナー、一杯行くか?」
「イリマヘーーーン!店頭の女の子とコンパドスーー」

2008年9月24日水曜日

えーー!モーガンに!


2008/09/24(水) 
「えーー!モーガンに!」

最近はニュースを見てエーーー!と一人で驚いています。沖縄にいるとき、リーマンが倒産という速報に、奇声を発したら、周りにいた家族が、何!こわーーい!と慄いてましたが、先日の三菱がモーガンに出資、そして筆頭株主にというのはほんと驚きです。でもここで勝負しないと、もうチャンスは来ないですから、大手町の神々もがんばってますね。大学を卒業して、京都で証券デッチを始めた頃、研修でモーガン、リーマンと言う名前を、嫌というほど聞かされて、日本の会社が小年野球としたら大リーグくらいだと、当時の大蔵省から来た先生が幾度も嘆いてました。それに刺激を受けて、私だけリーマンのゼロクーポン債を、必死に売ってました。
「ヨザ!オマエね、なんでリーマンの債券ばかり売ってるんや!」
「カ課長!だって東大出の先生が、リーマン凄いって言うから、それとカチョウがウリマクレッテ?」
「アホ!ソンナン!先月までのノルマヤ!リーマンなんて、訳のわからん会社の物より、京都のお客ハンは、興銀しか信用シハラヘンカラ、ワリコー売ってこんかい!それにオマエ、為替がへこんだらパーやぞ、オマエちゃんと客に説明シトンカイ!?」
「カチョウ!沖縄出身デッサカイ、為替はプロデンガナ!マカシトキ!」
ある日の朝礼
支店長「ヨザ君が外債の販売で全国トップになりました!京都支店としても誇らしいです、これからはグローバルな時代になるので、皆さんもどんどん勉強してください」
「ヨザ!一寸来い!」
「ハーーイ!カチョウ!なんか褒美でもあるんですか」
「なにが褒美や!オマエ今週でワリコー、1千万!ノルマあるで~~」
「エーーーーーーーーーーーーー」

2008年9月23日火曜日

ウガンブスク


2008/09/23(火) 
「ウガンブスク」

一生に一度、清水の舞台から飛び降りる
くらいの選択に出会ってみたいものですが
なーんかそれを毎日やってる感じの方が多いですね。肩に力が入りすぎて、余計に空回りするような、そりゃー疲れます。
その点沖縄では、テーゲー主義で自然と神々の守りがあり、誰でもユルク、マターリできるような環境が構築されてます。
でも最近沖縄でも、それを認識してないような方が多く、これを即ち、ウガンブスクと言います。ウガン=祈願?ブスク=不足?
ウ~ン!標準語に直すとまた少し、ニュアンスが違うような気が、、。現世利益でも無く、かといって信心深い訳でもなく、只暇だから祈願する。ウガンというのはそういうものです。その暇がまたまた、、。解説していたら永遠に続きそうです。ウガンする後姿を見れば一発で解るんですけどね~~~。

2008年9月21日日曜日

市井の方々


2008/09/21(日) 
「市井の方々」

もうーーー最高です。
市井の方々の巡礼する姿を見て
内なる涙が止まりません。
今出張の最後の巡礼も、感動しっぱなしです。直ぐに最終目的の守護神が、最初の受水で降りてきてびっくり、放心状態でした、やはり市井の方、沖縄以外にお住みで、純粋な方にこの道の天才はいるという、私の予感が的中して、感無量です。本人の自覚が無いのも、幸いです。いろんな方々の巡礼する後姿を、ゆったり拝謁できる喜びは、何物にも変えられないです。

2008年9月19日金曜日

旧暦8月20日


2008/09/19(金) 
「旧暦8月20日」

旧八月も20日になり、沖縄も少しだけ秋の気配がして、ヨーカビーの影響も徐々に薄れてきましたが、この後旧23日頃からそれが完全に終わりになるので、逆に体調を崩す方が多いです。我が家のペット、ルーキー君も風邪でおとなしいです。彼が来て七年が過ぎましたが、数年前自転車が壊れ、歩いて散歩に連れて行ってる間に、ジーンズがゆるゆるになり、体重が減っていることに気づいたことがありました。そして彼と二人で淡々と歩いて、75㌔から60㌔になり健康的になりました。ほんとにルーキー君には感謝しています。出来れば青戸に連れて行きたいんですけど、留守番等で大活躍ですから、それも無理ですね。

2008年9月18日木曜日

酒は日本酒!!


2008/09/18(木)
「酒は日本酒!!」

もうーーーお酒はすっかり日本酒党です。
それも、お正月にお屠蘇を飲むような、風流な盃でないと飲めなくなってしまいました。
まそれも至極単純な、きっかけです。
①日本全国から来る、お客様が当地の日本酒をお土産に持ってこられて、それを飲んでいたこと。
②WOWOWで独眼流正宗の50話一挙放送をつい先日までやってまして、青戸で超暇な私は、毎日三時間はそれを見てました。
イクサの後、武士が盃に濁り酒をなみなみ注ぎ、盃を酌み交わすのに、思わず「ゴクリ」と喉がなりました。
只それだけです。
でもその
只が
大事な時が多いですね。
その後、福島巡礼に行きました。
あ!でも私、wowowの回し者じゃ無いですよ。

2008年9月17日水曜日

阿嘉島


2008/09/17(水) 
「阿嘉島」


四勝二敗
阿嘉島巡礼計画して、今までの成績です。
七月は低気圧の時化で、今回は迷走台風で行けませんでした。イメージは、スイカチャージがゼロで改札がバタンと閉じる感じでした。どこかでチャージか、パスワードを入手しなければ、、。
それも、いろんな情報が、入っていたんですけどね、、、。
①は、阿嘉島の知人から、僕の好きな山から、月が大きく出ている写真を、頂いたこと。
②は、七月巡礼した方が、今帰仁巡礼の最後で、次はミナミに行けと出たことです。
は?普通次は北から行くのが、スタンダードなんですけどね。でも次の日に阿嘉島に渡る予定だったことに気づきました。
③は阿嘉島にすんなり行けた方は、僕も含めて、南巡礼に言っている。行けなかった方は、南に行ってない。

沖縄本島南部巡礼は、ツキヨミがやさしく待っている場所です。が今は道路が寸断され、陸の孤島化しています。それで神格がますます上がって、一層神秘的です。ロープを使って崖を降りてゆかなければなりません、っと言っても、普通の男の方は、それが無くても降りられますけどね。
そこでチャージしたほうが、特に離島は行きやすいこと、学習しました。基本は大事ですね。
それにしても今回、旧暦十五夜の日に、年配の女性が必死に頑張る姿を見て、勇気付けられましたし、僕に止められながらも、気持ちは、そこに行きたい!と言う、ウムイを必死に堪えて、遥拝に甘んじた方にも、ほんとに感謝します。
こりゃーますます面白くなってきたーー!
と言う感じで、今夜も見えない月を想像しながら、盃で飲む日本酒が美味いです。
勝手ながら、お土産は日本酒がいいなと;
ちょっと思っています。

2008年9月15日月曜日

宮古島


2008/09/15(月) 
「宮古島」

沖縄暑いです、すっかりナイチャーになった私には耐えられないです。みんな笑ってるし、女の子は薄化粧だし、みんな半そでだし、みんな自転車乗ってないし、三半規管が可笑しくなっています。
沖縄の居酒屋で、
「日本酒ある?」
「アルサー」
「銘柄は何がありますか?」
「ナンデモアルサー」
「えーーーーーー」
「じゃー佐賀の##下さい!」
「ハーーーーイ、、キクノツユッテ!」
「えーーーーー、いったよー、ワンは島ースカンカラ、日本酒って言ってるだろ」
「アイヤーーー、ニイサン!シマーカ?!」
「エーーーー!俺が島ーじゃなくて、誰が島ーか?」
「ナンデモイイサー、ノメバイイサーーーーー」
「はい!ーーーーーーー?」
「シマーモ、オイシイヨ-!」
「えーーー、菊の露って言っただけで、宮古;ってわかるけど↑」
「アガイーーーーー!ニイサンーーミヤコネー」
「アガイタンリガマーーー」
「アイヤーーーーーー、ホントニ!ミャーーーチ?」
「あのーーー君たち、スペイン人か?」

2008年9月14日日曜日

福島と言うところ」


2008/09/14(日) 
「福島と言うところ」

最近は、福島にはまってます。内地で本格的に巡礼地を構築したいと思いました。京都、奈良、和歌山、伊勢、島根、鳥取、滋賀,
富士山、三浦半島
みなすばらしいです。
でもですよ、昔の日本の境界線は?どこって、ずっと考えてました。中学の頃征夷大将軍って習いました。
「先生」
「何だヨザ君」
「征夷ってなんですか?」
「hi!way」
「征夷っの夷と言うのは、日本ですか?」
「u---nn」
「ヨザ君、後で職員室に来なさい」
「エーーーー」
アノネヨザクン、bokumoワカランノヨ?
ヨザクンハ、ドウオモウノ
「ハイーーー?」
「ボクモワカリマセン」
「ヨザ君!サッカーばかりして、なーーーんにも考えてないようで、君ね、大学と言うところがあるから、そこで昔の日本の境界線はどこですかって聞いてきなさい!那覇高校行ったら、大学に行けるから」
「はい先生!那覇校!内申45/90でもいけますか?」
「ハハッハハッハハッハハッハハ、お前出来るのは社会だけかぁ、意外とgハハハハ」

2008年9月13日土曜日

東京のスーパー


「東京のスーパー」

東京のスーパーは凄いです。何が凄いかって言うと、朝あったブタモモニク塊が夕方行ったらないんですよ!!エーーーーーーーー!青戸からわざわざお花茶屋まできたのに、エーーー↓
これは地球の危機の始まりだ!宇宙人が買い占めたんだとと思いました。沖縄のスーパーだとシンジラレネーーーって感じです。三枚肉の塊と、モモ肉、グーヤー(豚の肩肉?」)はいつも定番!これでもかって言うほど、置いてます!那覇のユニオンですけどね。ユニオンは良いです、カネヒデよりもちょっと、少し、人間味があります、って私ユニオンの回し者じゃないですよ。ユニオンには「グングンぐると」ありました、毎日買っているのに、いつの日か無くなりました。バイヤーさんしっかりしてよって、チョットアバレマシタ!
でどんな話でした!
そうそう東京のスーパーなんか凄いです。

2008年9月12日金曜日

「今一番したいこと


2008/09/12(金) 
「今一番したいこと」

うーん。薪割りしたいです、冬に備えてうんと沢山の準備したいです。その代わり、ニッセンの通販でコタツ布団7月から注文してました。その布団が来たときに、東京は36度。
いっぱいに広げてでっかーーとおもいました、小さいコタツは東京来てすぐ買いました、その布団は長炬燵用?なにそれ?六畳の畳いっぱいの布団?ニッセンさん間違ってるんでしょっと、メールで確認しました。いえ
決してクレームじゃないですよ。あのーすごいでかいコタツ布団なんですけど、間違ってないですか?安すぎるんですけど2800円!布団と敷物で?ジュータン?注文してないでよ?電話来ました。「お客さん布団がおおっきんですか?長尺ですから、大きいですよ、夏ですから誰も注文しないんですよーー、料金は頂いてますから、間違ってないですよ、それはジュウタンジャナイデスヨ!セットです!これからもニッセンをよろしくお願いします」って別に私ニッセンの回し者じゃないですよ。

2008年9月11日木曜日

秋ですーーーー!


「秋ですーーーー!」

栗ご飯旨いですね!東京は昨日、ななんと
22度ですよ、夜は寒いです。沖縄の方は信じられないでしょうね。コタツ出そうかなと思いました。青戸の近くの中川もヒンヤリシテ、夏に多かったジョガーも少なくなりました。この前市川って所に行きました、東京じゃないですけど、自転車で35分くらいです、そうですね、沖縄で行ったら、メインプレスから、オオジャナな交差点位(汗)です。そこで生まれて初めて、鈴虫の鳴き声聞きました。いや鈴虫か解りませんけどね。秋だなーーっと聞きほれていました。沖縄の青い海と同じ匂いがしました。はっと気づくと側に老人が立っていて、えーーと息を止めました。
その老人が、もう秋ですなって、言って
僕は、オキナワカラキマシタ!ワカリマセーーンと言って
逃げました。その老人の顔が烏賊みたいになってました。もうーーーーイカサンったら!

2008年9月10日水曜日

お里帰り


2008/09/10(水) 
「お里帰り」

うーん、内地はお里帰りに厳しいですね。今時の若い子でも、遠慮して、何なんだろうと思います。いつもはわがままさせてる、旦那でも、それに対しては嫌味言ってるんですよね、そりゃー女の子も実家に心配させまいと、頑張るのは理解できますけど、それもがんばる必要ないんですけど。やせ我慢して実家に行かなくても、親御さんは知ってますから、どんどん心配させてください。それがただの甘えだとしたら、それなりに子供のときのように叱られますから、それがないなら、うんと甘えて、愚痴ってください。
江戸時代でもどんどん実家に帰ってましたよ。沖縄では実家の行事ごとをおろそかにしたら、祟られると言われています。祟られるのは旦那です。それを知ってか知らずか、新婚の沖縄の女の子は実家に入りびたりです。それから月日がたっていくと、それも少なくなってきます。
僕が総理大臣になったら
実家帰省法を制定して、産前産後は半年帰省、新婚五年までは、旅費の半額補助等の政策を実行したいですね。
まじですよ。政治関係の皆さんお願いしますね。そうでもしないと地方から首都圏に来てる子は、なかなか結婚できませんよ。

2008年9月9日火曜日

mother 読者のメール


2008/09/09(火) 
「mother」

「尊敬ねぇ…あるかしら?與座さんのおかあさんのようなところはなかったな…う~ん」
でも人それぞれですからね。私の母の尊敬できるところを一つ見つけました。
やはり男性に混じって定年まで働き続けたところです。

私達を養ってくれて私達も無事に家族が持てて、今幸せに暮らしていられるって事です。
これは紛れも無い事実です。これはしっかり受けとめなくては…とおもいました。
なにかの折に触れて…母に感謝の気持ちを伝えてみます。
面と向かって言えるかしら?手紙にしようかしら…?(アハハ、悩むところです。)
この事実に目をそむけて…ただ感情面だけで母を責めていました。
母を受け止めてくれる人はいなかったのに…悪いことをしましたね。

今、結婚して、妻、母になり…改めて女の人って旦那さんや子供達に愛されたい、認められたいのだと思いました。
愛されるために何か特別なことをするのではなく…日々の生活の中でただ「ありがとう」って言ってもらえるだけで幸せなんだと気づきました。

「泣けます」今メールをしながら色々昔を思い出しグスグス泣いています。ほんと涙もろくなりました。

友達のお母さんみたいに綺麗な彩のお弁当ではなくて、ほとんどが茶色っぽいおかずでしたが…(当時は嫌でした)
母が働いてた忙しい時代でも冷凍食品など使わず毎日作ってくれました。
だからやっぱりそんな弁当は絶対に残せなかったし、まして捨てることなんて出来ませんでした。
食べ終わったお弁当箱を洗わずほったらかしていて、よく怒られましたが(アハハ)
こんなところにも「母の愛」たくさんつまっていました。

毎日が嫌で嫌で母を嫌いで…早く家を出たかった昔も…こうして振り返ってみると
あっという間に過ぎてしまっていましたね。

これからまた母との関係も…過去の感情面にとらわれず…新しく築いていきたいです。

そしていつの日か私も子供たちに、そう思ってもらえるよう…わたしなりの生き方を見つけて行きたいです。(ほんと人それぞれですね)

2008年9月8日月曜日

ホ-゚ニョ!ホ-゚ニョ!


2008/09/08(月) 
「ホ-゚ニョ!ホ-゚ニョ!」

足踏みートントントン両手を魚さんがパクパク
オンナの子ー腰にマールクシャッキ
青い海からやーて来た~。
ポーニョ、ポニョ、ポニョ、ポニョ、フクランダ
まん丸おなかの女の子!~~~

女の子デ
オンナノコノの子のスカートみたいに
サカナサンガ
呼吸するように
両手で
スカートの形、パパパッパ

これの繰り返しです。
妖精妖怪等の季節ですからねー。
ここでは沖縄では感じられない、それらも
闊歩してると思うと楽しいです。

イツカツカエルカカモシレナイトオモテ!

|  // /
|// /
 / ̄
 |ポーニョ、ポニョ~~~~。
 |
 |
 | (-_-)  (○)
 | (∩∩)  ヽ|〃
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
お盆、にヒトリテ練習゙、、。楽しかった!!

2008年9月7日日曜日

旧暦八月八日


2008/09/07(日) 
「旧暦八月八日」

今日新暦九月七日は
旧暦八月八日です。
八八で母とも関係あります。
ピアノもスタンダードは
88鍵盤です。まそれはおいおい
で、いわゆる沖縄では
ヨーカービーといいます。
これから一週間の間に、各地でお払いの行事が行なわれます。
チョットコワイイッシュウカンノハジマリデス
夕方頃、どこからかオカアサーンと聞こえてきそうです。物の怪が寂しげに呼んでるかんじがします。僕はそれらを抱っこしながら、子守唄を歌ってやり、お払いしたこともありました。護摩炊きや、修験道のお払いだと可哀想で、、。
ピークは
十五夜です。
見てはいけない月
moon
十五夜までの月を見たあなたは
、、、、、、。

2008年9月6日土曜日

「何ーんにも言えねーー


2008/09/06(土) 
「何ーんにも言えねーー」

アイヤーー!ナーンニモイエネー!!
イカの極意です。
チヤチャチャン
まず獲れたてのイカを、きれいに捌きます。
塩辛に使う腸なんかもいりません。
皮もきれいはぎます。
やわらかい白いイカにします。
天日で3時間干します。
冷蔵庫で2時間乾かします。

そして弱火で、匂いが出るくらいに
ちょっと焼きます。
これで出来上がりです。
イカの10っパイくらい
平気で食べられます。
ウーーン
烏賊の
修行が
終わりました。
烏賊って女の子のの優しさそのものだったんですね。

2008年9月5日金曜日

アイヤーーー!!うまーー


2008/09/05(金) 
「アイヤーーー!!うまーー」

イカリングフライ感動した!!熱々が超旨かったです!
うーーん先月から旬のイカを頂いて、すっかりはまっています。
やっシークッキング、チャチャチャンチャン!
イカベスト7
1、イカリングフライ
2、一夜漬け、
三ー!世界の靖あっつイカ大根!
4、イカてんぷら
5、イカのイナムドゥチ味噌漬け
6、イカの天日干し
7、手作りイカの塩辛
みんな僅差で旨いです。
もうそろそろ顔が烏賊のような感じになりそうです。とーー!ここまでは一昨日書いた未来日記でアップしてたんですが、昨日なんと!ナマイユー(とれたて)を千葉の先輩から頂きました!!それも成魚?でかくなってますねイカサン!もうーこれくらい大きいと、イカの墨汁が作れるんじゃないかと、ワクワクしてます。顔は烏賊そのものになりそうです。

2008年9月4日木曜日

母と総理大臣


2008/09/04(木) 
「母と総理大臣」

私の母の一番尊敬できるとこは、
復帰前の佐藤栄作総理から安倍総理まで、
決して批判しなかったことです。
どなたが辞めるときも、テレビにかじりついて、涙を流してました。
「何で辞めないといけないのーー」
「よくやってるのに」
たまに、、、、。
クリントン大統領がサミットに来沖した時に
「この人もいい人だよ」っと手をたたいて、喜んでいました。
仕事の出来る母でした。

2008年9月3日水曜日

時計の夢


2008/09/03(水) 
「時計の夢」

最近時計の夢見る方が、多いですね。
判断に来る方も、メールもいろいろですが、
一般の方も体験した方があると思います。
簡単です、時計は前にしか進めません。
後ろをふりかえず、これまでやったことに
自信を持って、進みなさいってことです。
夢は簡単に解釈しましょう。

2008年9月1日月曜日

初勝利!!


2008/09/01(月) 
「初勝利!!」


昨日は、急遽参戦のジムのスパーリング大会でした。パンチは強いけど、守りが駄目なので、熟練の部にも初心者の部にも出られなかったんですが、強く打たない!!との警告の元で出場できました!!でもみんな初心者部でもガンガン打ってるし、心臓バクバク!相手は40歳の三年目!ヒエーー!でもゴングが鳴ったら頭真っ白になって、あっという間に終了!3-0で初勝利!!相手の方は鼻血もでてて「ストレートで鼻が折れると思いましたよ」と聞いて、またまたヒエーーー!
でも最高に面白かったです。気迫の神々が降りてきてました!!
そして内藤チャンピョンも来て、盛り上がってました。いやーチャンピョン花があり凄いです。写真は練習風景ですけどね!