2008年5月23日金曜日

陰陽師

だいぶ前にお客さんから、薦められて漫画の方読んだんですけど、安倍清明がユニークに描かれていて全巻そろえた記憶がありますもちろん作者の夢枕漠氏が凄いんですけど、特に雨乞いの儀式で、川に牛を投げ込むのを古臭いと一蹴し、春日大社から各地の聖地に行って、最後は瓜を真っ二つに割って雨乞いの儀式をしていました。その時ちょうど、パパイアとかキュウリとか瓜科の物に興味があったので、今でも覚えていますほんとに水の滴る瓜で雨乞いの儀式をやるなんてスマートでセンス抜群ですねその時期、新しい祓いを開発したばかりで、やっぱ俺は天才だなと自己満足してましたが、その儀式を観てう~ん秀才の部類かなと謙虚になりました。

さて、いくら清明の技術が凄くても、それを猿真似してもせいぜい5%位の効果しかなく、自分で解したもののほうが100%力でますからベストですそれはどんな技術、法力、呪(シュ?)でも結局、自身の体に来るからです。自身のクリーニングが出来なければアウトです。神道では潔斎、他の宗教では修行等ありますが、それも自身の方法を探す基本的なものです最終的には自力で開発、悟る、覚醒、するしかありません。ですから清明の儀式でも技術的にはそれほど難しくありませんが、それにあったクリーニングが解らないので、やったあとがとなるのは想像に難くありません。どなたか陰陽師の漫画でもその触りでもヤッテミタラドウデショウその後どんな現象がおきるかオモシロイデス

沖縄でも良くプロの方が来てましたが、多くが数ヶ月に一度、体調不良で、「寝かされた~」と嘆いていました中には判断、相談が出来なく、一ヶ月くらい休んでいる方もいました。即座にクリーニングが出来ないんです。何時も体で受けるしかないんですまだ大人しく寝るだけでしたら良いんですけど、一般の方と同じよう、ストレス発散と勘違いして、嗜好品でやってる方もいますね
それがどんどん続くと、風貌もだんだん変わってきて、見るからに業界の方?という感じになります。もちろん体に受けるのも勉強になるので、あへて余りクリーニングしない場合もあります、ノーガードで話したように、現象をほっといたり、体に受けてどれくらいのもんか確かめる時にはですけど、年中やってると、はては行者の末路ということになりますあっ一般の方はそれで生活していない場合は、あまり関係ないですよ感のある方はどんどんチャレンジしてください

沖縄で,ユタのおばちゃんから「あんたね、何時もあんなに大きな神様とこに行って
怖くないの?無謀だよね!」「寝かされないの?」「ウブサ大変でしょ?」
と聞かれてましたが、その都度「ぜんぜ~ん、楽しいサー、」と答えてました。
ユタの方たちは、「タカヌブイ(高上り)」を恐れます、ここで言うタカイ高いとは
そのものズバリ、位の高い、自然の神々を指しますが、日頃、先祖ごとを主に、やっているユタの方たちは、下のほうの神々、先祖でも大変なのに、「タカヌブイ」なんて
出来ないと考えていますね。でもほんとはその逆なんですけどね。
でも、おばちゃん達も良く僕に教えてくれましたし、ウガミ(祈願)も真面目にやってます、テンプラーとかいろんなもの持ってきて、最後には何時も「あんたはタカヌブイして、また教えてね?」
と笑ってました、それで最近東京に行ったと知ると「なんでよ~、すぐ帰っておいで~、
私達のウブサは誰が取るの~」とあわててます。

さてこれまでプロはクリーニングが出来ないと、アウトだということは解りましたが、
良く、「信心、信仰、道徳etc、、。」と神仏に、熱心に使え、学びさえすれば、神仏が守ってくれるんじゃないと思うかもしれませんが、それは一般の方々はそれでオーケーですけど、プロの世界では、お花畑な話でして
神仏、自然に畏怖するのは、人として当たり前の事なので、それとは全然関係なく、極めてテクニカルなインテリジェンスな問題です。数学や物理、化学、等理数系な感覚が必要です。もちろん現実の学歴、学問は何の役にも立ちませんけどね、でも自然と勉強させられることになります。最もいくらそれが的を得ていても、儀式等にはその品性、品格が
如実にでます前述の雨乞いの儀式で、殺した牛を河に投げ込むか、清明のように瓜を使うか法則は一緒ですが格段の差がありますね。
陰陽師の清明はその当時の文学、天文学、生物学等を極め、カッケ~と思わず拍手です
ちなみに私、学生の頃はサンスウが大の苦て今でも分数の割り算できませ~んボウリングの点数計算できませ~ん量販店のポイント割引に即飛びつきます

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