2014年1月10日金曜日

久松五勇士と国家

宮古御願に行くと何時も久松五勇士のモニュメントを見ている。
バルチック艦隊発見の知らせを八重山まで100キロ以上サバニで漕いで
知らせた。明治維新から数十年、当時最果ての島の人々の国家への忠誠心に、本土では驚いたそうだ。
いやそれは至極当然でしょう。国家というより国体が、産まれ育ちながら自然と身についたもので
教育でどうかなるものでもない。それで天皇制を自然と理解した。

信長や家康などは比叡山焼き討ちや、キリシタン弾圧をしたが、それはもちろん
国体を脅かす、革命が起こると考えたからだが、僕はほっといても変わらなかったと思う。

戦後アメリカ統治が始まった沖縄で、驚くほどキリスト教が布教しなかったっと聞いたことがある。
先の大戦で日本中の天才を集めたと言われる大本営で、久松五勇士より国体を
理解できる者がいたのかと聞いてみたい。

そんなこと考えるのも、旧暦12月24日の御願ブトゥチで火ぬ神が今帰仁クボー御嶽に
結ばれて、一瞬でも琉球王の息吹を感じられるからだ。

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