2009年2月2日月曜日

母(小説ヲンナより)


2009/02/02(月)
「母(小説ヲンナより)」

昭和36年ごろ。
「豆紳士」今では信じられないでしょうが、僕はそう呼ばれてました。3歳くらいから、大阪、船場。東京、日本橋、浅草橋、馬喰町、と母が仕事に行くたんびに連れて行かれてました。その時はもちろん、日本復帰前、茶色のアメリカパスポート持ってました。飛行機もパンナム、ノースウエスト、トランスワールド。今で言う所のファーストクラスなのか?東京まで6時間、子供の僕にも、フランス料理のフルコースやステーキが出てました。座席の指定も、登場前に飛行機と同じ型の模型があって、座席のとこを押して、その半券を、外人のスチューワーデスに渡すのです。「母ちゃん!今日も、かおるちゃんいるかー」「今日はどうかなー兼高さん、この前ハワイ行ってたからねー、いないはずさー」
「母ちゃん?今日はなんでTWAかー?かおるちゃんパンナムだろーー」「お母さんと言いなさい!内地行くから、母ちゃんとか、カーーって言ったらだめでしょ」「なんで、カーーはカーーサーー」「もう解ったから、トランスワールドにも綺麗なかおるちゃんデージいるさー、パンナムはこの次ね」「いやや、絶対、パン!や!アガーーーーーー」「言うこと聞くネー!キクネー!!!」「アガーーーー、聞くキクキクー」「そうでしょう、ヤスボーおりこうだからねー、パンあるよーー」「ワーーイ、ジミーのパン、パン!!」「そうでしょう!!パンナムさー」
日本橋三越で買った、三つ揃いのスーツとハンチング帽。コザのロジャーズで買った革靴、そんな出で立ちですから、「靖ぼん!今日もええ!かっこやな、ハンチング帽に、タイツか!さすが沖縄一番の服屋のボンやな~~、社長!靖ボンのスーツ!三越でっせ!!」そんなこともあり、豆紳士と本土の丁稚の方に呼ばれてました。
「靖ぼん!今日も紳士やなー、おっちゃんと、今日は奈良のドリームランドいこな!」「なんで?」「奥様は仕事があるからな!!かんにんしたってや」「いやや、いやや、僕も仕入れ行く!!」「かんにんしてーなー、奥様からチップ1ドルもろてるさかい、又どやされるがな、、。」「いやや、絶対行かん、行かんもんは行かん、母ちゃん呼んできて!」「かんにしてーなー、こまりますがなー」
僕の両親は、那覇の平和通りで、婦人服販売をしてました。当時は50人位従業員の方がいました。中には住み込みの方もいました。お手伝いさん兼子守がいて、母が忙しかったので、その方と何時も一緒にいました。幼稚園に通うと、、。
小説ヲンナより

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